スカイダイビングをしたことがない、今後もしないと思う

書かずにいられないことを書いておくための日記

年とは越すものなのだろうか

年末年始がやってきてしまったらしい。年末年始のムードが好きか嫌いかというと、正直よくわからないという回答しかできない。
ただ幼少のころは「お正月なんだから家でゴロゴロしようがきちんとした格好(カッターシャツにスラックスとか)をしないとダメ」「3日は親戚同士で集まるために家族で出かけなければダメ」など行事に際しいちいち躾が入る家庭の子だったので、実はあまり好きではなかったかもしれない。

そんな記憶のせいもあってか、正月で人々が浮かれていても「んなもん今日が明日に変わるだけだろうが、騒いだり挨拶に回ったりする理由なんてあんのか」と逆張りクソ野郎になってしまう悪い癖が抜けない。

あ、子供のころお年玉に限っては大好きだったか。なんなら今も現金は特に正月に限らず24時間365日全力で募集している。やっぱり正月だから云々みたいなこだわりは、自分のなかには別にないようだ。

そんな感じなので年賀状とか新年の挨拶とかその辞退とか、時節に躍らされて畏まるのはどうなのという構えなのだ。

春夏秋冬いつでも何時でも何曜日でも、自分のやりたいことやなりたい姿、行きたいところや食べたいもののことだけ考えていられればいいやというノリで生きている。

ただ1つだけ「正月はこれをやるべき」と自分に課していることがある。自分の健康と、身内や個人的に好きな誰かの安全を祈願することだ。そんなのは常時祈っているにこしたことはないが、平時は自分のやりたいことに頭が占拠されてしまってダメな人になってしまう。

正月は自分にとって「いったい誰のために浮かれたり畏まったりしているのか」と、つい猜疑心の塊になってしまう時期ではある。ただ、自分みたいなダメな人にも他の誰かを思いやる自由はあるし、そうしたいと思い立つ良いタイミングでもある。

正月の大切さは正直よくわからないが、節目は重要だと思う。

「ネイルアートしてる子はモテませんよ」

結婚相談所的な場所に行くと、だいたいの場合はじめに表題のような指導を受けることになるらしい。実際に知人の男性が「好きでやってるのは分かるから申し訳ないけど、ネイルしてる子は自分個人としてナシ」と遠慮気味に言ってるのを聞いている。なおその人は集合体恐怖症で、びっしり並ぶラインストーンや細かいドットがどうしてもダメという説明を後で受けたので、そりゃ仕方ねえわと思った。

私はといえば、まるで用がないので結婚相談所的な所に行ったこともないし、特に誰かとのご縁に関してそこまで困った経験もないので、そんな憚りを覚えもせずネイルを楽しんでいる。
モテたいならネイルをやめろという一部の見解に対しても、「個人の興味関心を犠牲にしても、モテがご自身最大級の幸福につながるという価値観をお持ちならご自由に」という感じだ。
ただ、やりたいことをやめて手に入れる誰かとのかかわりにどのくらい大きな価値があるのかは私にはわからん。

人との出会いは、自分のしたいことや興味関心を持った何かの向こうに運さえよければあるんじゃね、程度のものだと思っている。無論、運がついてこなければそこに出会いなどないかもしれないことも承知している。そうならそうで出会いなど求めず、ただただ興味関心のためだけに淡々と生きていく分には何ら問題ない。

「たくさんの人に受容されるには、あなたの周りにいるたくさんの人と同じになりなさい」という考え方に沿って生きられない人もいる。たくさんの人のようになりたくてどれだけ頑張ったところで、生まれつきそれがかなわない特性を備えた人間もいるのだ。

冷静に考えると、お見合いや結婚相談所の存在自体が「他人と同じになりなさい」という価値観が文化の皮をかぶっているような何かだといえなくもない。ネイルに対しああだこうだ言われてしまうのも、当然といえば当然かもしれない。

いろいろと遅れている

さっき広告で資生堂アネッサの新しい日焼け止めが今月下旬に限定販売されるというのを見た。
真夏手前に。普通にちょっと遅いんじゃないかな。日焼け止めの新製品って3月下旬くらいには出揃っているものだったと思う。

世の中が混乱してるせいでいろいろなことにスピードが失われているんだけど、去年の今ごろは「急なことなので数か月延ばします」という宣言の元に遅れている事例が多かったと思う。今年はそれと違って、なんだかシレーっといろいろなことがスピーディに実行されなくなっている気がする。

自分のようにコツコツやる性分を自認している人間にとっては、意外と悪くない時代がやってきたようにも思える。実際のところ、すぐ結果を求められる世の中は悉く居心地が悪かった。じっくり寝かせて作る秘伝のタレも、たぶん最初に作られたのが昭和の時代くらいだったから今成立しているのだ。だから令和以降には、もう秘伝のタレなど開発されることがないように思っていた。

全世界が不測の事態に見舞われている今の状況は確かに良くないし、肯定する要素なんて1個もないとは思う。ただ、じっくり待つことや待たなければ出ない結果をきちんと望める時間の使い方ができる世の中になることは、悪いものでもないんじゃないか。

秘伝のタレを仕込むなら今からだと思う。そんな時間を取れるのは今だけかもしれない。

愛の不時着に感動したので俺が不時着する

↑というライトノベルのタイトルを考えた。
先にタイトルを考えてしまったので、これからそれ以外を考えなければならない。困った。しかも私は愛の不時着を全部見ているわけではないので、これから最後まで見た上でいろんなことを考える必要がある。こまる。

しかしブログのメインタイトルが「スカイダイビングをしたことがない(略)」なのに俺が不時着しようとしているとはなにごとだ。とはいえ不時着しようとしているのはライトノベル(話の筋その他は何も考えていない)に登場する何かであって、別に私ではないので関係ないといえば関係ないということにする。

前回のブログでプリンターのインクを交換した自分をほめていたにもかかわらず、今回このブログを交換するまでの間にそのプリンターが亡きものになった。次に交換するインクを4色セットで買った次の日に壊れました。ひどい。ていうか自分がどんだけブログを書いていなかったかを過ぎ行く月日が物言わずとも雄弁に語りすぎていて心を削る。

緊急事態宣言が出る前に行った松屋でごろチキ煮込みチキンカレーを食べた。食事日記アプリを付けているので栄養成分を調べたらたんぱく質が一食で45グラムも摂れることを知った。やべえムキムキになるじゃん。※ならない

たんぱく質といえば、私の知り合いには筋トレをしながらプロテインを飲んでいる人間がやたら多い。そんなに筋肉量を増やしたいなんてどんな仕事をしているんだろうと冷静に考えてみた。冷静に考えた結果、彼らは店の店主や普通にデスクワークをしている人であることを思い出してしまった。うっかり冷静に考えちゃって本当にごめんと思った。

しかし筋肉が付くと良いことがあるのは確かだ。私も筋トレと筋膜リリースをゆるくも続けていることで、地下街を一日中歩いただけで腰が痛すぎて「いっそ殺して」と思うようなことはなくなった。

先日松屋へ行ったついでにコストコへ行った。人を叱るとき「お前は本当に幾つになってもコストコドッコイだな」と言うあのコストコである。違う。
コストコへ行くといつも目につくものの1つに、化け物みたいに巨大な四角いティラミスがある。あれは少年少女の夢を具体化したものだと思っていたが、コストコの本国ではあのくらいのサイズのおやつが割と普通に売っているらしい。スズメバチオオスズメバチが種で区別されているように、人類も大雑把に一括りにせず人間と大人間に分けるべきだ。

とにかくあのティラミスを買ったところで、私が完食できるのは1年後くらいになってしまう。冷凍保存できる期間にも限界があるので、あきらめてカップに小分けされたティラミスを買った。6個入り。
1個食べてみたらちょううまかった。とはいえ私が食べられるのはおそらく週に1個か、頑張ったところで3日に1個だ。6個……と思って賞味期限を見たら「2021年6月」だった。
勝った。

いや勝ち負けじゃないな。別に。

インクカートリッジを交換できたのでえらい

自分にとって、わけもなく達成感を覚えるできごとが何個かある。
わけもなく、というのは「成果に該当しないのに」とか、「やりきったところでさしたる結果は待っていないのに」とか、「欲求や欲望に直結しないのに何故か生命レベルで」とか、そんな感じの意味合いだと思ってほしい。

そのうちの1つが自分のプリンターのインクを交換することだ。ご存じのとおりプリンターのインクを交換することは面倒だ。面倒なので当然のように、インクがかすれて印刷できなくなるまで可能な限り先延ばしにしたくなる。実際、今持っているプリンターを買う前の機種ではそれを堂々とやっていた。

しかし、今持っているプリンターは先延ばしという愚行を許してくださらない仕様になっている。要するにイケズっちゅうやつやな。インク不足と見るや「おうお前さん交換時期来てはるで、まあ交換せえへんねやったらここにあるExcelも印刷でけへんけどな」とその場で選択を迫ってくんねんな。

こちとら数か月単位でしか交換しないので方法すら忘れている都合上、初めからチュートリアルを見返して実際に交換するまで数分はかかる。それでも目の前のデータを印刷する必要に迫られている状況があって初めて「しゃあない交換するか」となる。なお今すぐ印刷する必要がなければ、そこでプリンターモニターのアプリを閉じて見なかったことにする。

今日は上記の手順を踏んで「しゃあない交換するわ」という結論に至ったのでマゼンタとイエローの2色をまとめて交換した。数多の葛藤と屈辱感を味わった末の交換作業だけに、この作業が1円にもならなくとも自分の中に謎の達成感が生成されてしまう。なにが偉いのかわからないがとにかくこれをやり切った自分がえらい。

そして印刷しながら、息をするようにストックのインクカートリッジを注文している自分がえらい。
あまりにえらいので大好物のフルタの生クリームチョコレートを通常2つのところ3つ食べようと思う。

たぶん春じゃない

だいぶ前に服飾雑貨店の簡易カラー診断(カラー診断の資格を持っている店員さんによる診断)でパーソナルカラー春と診断された。
しかしその店員さんが言うには「髪を染めたりカラコンを入れたりするとパーソナルカラーは変わります」とのことで、私たちが良く知っているパーソナルカラーとは少し違うような気もしなくもない。

以前から自分の肌色は黄味が強いと思っていたし、その時明るいブラウンに髪を染めていたので一瞬で「春ですね!!」と猛烈な春プッシュを受け……。ドレープも当ててもらったわけだが、その時も髪色とのマッチングを強く意識した説明を受け続けた。

で、「春の方にはオレンジや黄味ピンクやアップルグリーン等々が似合いますよ」と通り一遍の説明を受けて診断は終了。しかしどう考えても、どの色も似合わなくて困っている。

そんな感じで強力に春を推されたというのに、子供のころから春に似合うとされるウォームパステル系の色やビタミンカラーが似合った試しがない。
アイメイクでも、グリーンはどす黒く見えブラウン系は何回重ねても発色しない。オレンジは浮きすぎてお笑いメイクに見えるし、手持ちの色できちんと発色するのはパールホワイト、グレー、赤系ぐらい。

チークはどの色も大抵似合わない。そもそも自分の顔に血色があること自体が想定しにくい。そしてオレンジやコーラルはお笑いになり、ブラウン系は発色しないのでキャンメイクかどこかで売っている紫味の入ったカカオブラウンに頼っている。それすら4回くらい重ねないと発色してくれないので困る。

リップも春に似合うはずのオレンジやベージュピンク、コーラルは全滅。一方で、ブルーベース色の青みピンクやローズも浮く。唯一肌になじむのは黒っぽい灰味のバーガンディで、今はレディットというブランドの01番なんちゃらカシスという色をバカの一つ覚えのように使っている。が、今から廃番を迎える日を思うとそれはそれは恐ろしい。

洋服の色で言うと「ナチュラル」「可愛い」「女の子らしい」「爽やか」と言われる色はまず似合わない。ベージュや茶の服は具合が悪く見えるので子供のころ親に禁止されていた。
似合うと言われてきたのはいわゆる「無印良品の色」白、黒、チャコール、紺、デニムカラーぐらいだった。良いことかはわからないが、それこそ「無印良品の洋服が地味に見えなくて羨ましい」と言われたことがある。

ファンデーションの明るさは標準色(資生堂オークル20、THREE203)、比較的彫りの深い濃い顔立ち(顔タイプ診断エレガント)。

これで「パーソナルカラーは春です」と自己紹介したらたぶんどっかから「プッ」て聞こえてくる。絶対に聞こえてくる。これは小一時間くらいドレープ当てまくってくれるような、額に本気汁の滲み出ている個室のサロン的などこかで診断し直した方が良いと思っている。

というか、自分の似合う色だけを見るとパーソナルカラー春夏秋冬の4つのなかのどれにも該当しない。

むかし親から「おまえはうちの子じゃなくてNASAの横に宇宙人が捨てて行ったのを拾ってきた」と罵られたのもいがいと嘘じゃなかったかもしれない。

ドザー

しごとをしているときは昼飯もひとりで作って食べる。
冷凍麺、なかでも麺と一緒に具材が貼り付いた状態で凍らされてハン・ソロみたいになっているやつをよくメニューに選定する。なにがいいって楽だから。いろんな種類があるが、特にちゃんぽんはお野菜がたくさん入っていてひじょうに具合が良い。イエーちゃんぽんイエー。

食べるときもひとりだが作るときもひとりだ。咳をしてもひとり。コロナ禍の現代にも生きる尾崎放哉スピリッツ。ひとり王に俺はなる。ひとりなので名乗りさえすれば秒で王になれる。すばらしい。

ちゃんぽんを作ろうとキッチンに立ったら誰もいないことに対して謎の圧を無性に感じてしまったので

「ワァオ! 人がいなァい!!」

と声に出して読みたい日本語を朗読する岡田圭右さんみたいになった。

 

咳をしてもひとりだからといって特に救済を受ける手段は持ち合わせていないので、さしあたって夕飯を作ることも自分で考えなければならない。昼飯を食べ終わったら、先月買った象印圧力IH炊飯ジャー炎舞炊きに計量した無洗米をセットする作業が待っている。

キッチンにある米びつは、希望の合数のボタンを押下するとザーッと米が受け皿に落ちてくる昔ながらのやつだ。イエーヨドコウイエー。

2合炊きたかったので2合ボタンを押したが、間が悪くそこで貯蔵していた米が切れたらしい。念のため受け皿を出してたまった量を見ると1合もなかったので、新しい米の袋を開封して米びつに詰めた。そして勢いよく2合ボタンを押した。

ドザー。

もうお察しのこととは思うが受け皿をセットしていなかった。
出でよマキタのハンディサイクロン掃除機。

もちろん出てこないので自分で取りに行った。

炎舞炊きの炊飯器は本気で日本一うまいご飯が炊けると思っている。日本の米は世界一なので自動的に世界一でもあり宇宙一でもある。なにがあっても自動で勝ち抜いていく炊飯界の慶應幼稚舎というキャッチフレーズを古舘伊知郎さんなら咄嗟に思いついてくれるだろう。知らんけど。

さすがにせっかく新しい米を全部マキタで吸い込んでしまうのはアホなので、両手で水をすくうあらいぐまラスカルみたいになりながら床にぶちまけた米を拾えるだけ拾った。しかしあらいぐまラスカルのままだとその米でうっかり何かを洗ってしまうので慌ててラスカルモードを解除した。

そうしてラスカルモードが解除された状態にあるのが今の私だ。イエーマキタイエー。