年とは越すものなのだろうか
年末年始がやってきてしまったらしい。年末年始のムードが好きか嫌いかというと、正直よくわからないという回答しかできない。
ただ幼少のころは「お正月なんだから家でゴロゴロしようがきちんとした格好(カッターシャツにスラックスとか)をしないとダメ」「3日は親戚同士で集まるために家族で出かけなければダメ」など行事に際しいちいち躾が入る家庭の子だったので、実はあまり好きではなかったかもしれない。
そんな記憶のせいもあってか、正月で人々が浮かれていても「んなもん今日が明日に変わるだけだろうが、騒いだり挨拶に回ったりする理由なんてあんのか」と逆張りクソ野郎になってしまう悪い癖が抜けない。
あ、子供のころお年玉に限っては大好きだったか。なんなら今も現金は特に正月に限らず24時間365日全力で募集している。やっぱり正月だから云々みたいなこだわりは、自分のなかには別にないようだ。
そんな感じなので年賀状とか新年の挨拶とかその辞退とか、時節に躍らされて畏まるのはどうなのという構えなのだ。
春夏秋冬いつでも何時でも何曜日でも、自分のやりたいことやなりたい姿、行きたいところや食べたいもののことだけ考えていられればいいやというノリで生きている。
ただ1つだけ「正月はこれをやるべき」と自分に課していることがある。自分の健康と、身内や個人的に好きな誰かの安全を祈願することだ。そんなのは常時祈っているにこしたことはないが、平時は自分のやりたいことに頭が占拠されてしまってダメな人になってしまう。
正月は自分にとって「いったい誰のために浮かれたり畏まったりしているのか」と、つい猜疑心の塊になってしまう時期ではある。ただ、自分みたいなダメな人にも他の誰かを思いやる自由はあるし、そうしたいと思い立つ良いタイミングでもある。
正月の大切さは正直よくわからないが、節目は重要だと思う。